花見の歴史
現在の花見は江戸時代に誕生
江戸っ子が着飾って花見へ
花見の行事は日本ならではの習慣といえよう。花見の歴史は古く、古代においては農村では春の訪れと農耕の開始期を知る手段でもあり、またその年の稲作の具合を花の散り方で占っていた。この時代に、桜の下で円陣を組んで神酒を供えたことから、花見の習慣が生まれてきたという説もある。
奈良時代の頃には、中国から梅の渡来とともに梅の花を鑑賞する文化も伝わり、この時代の代表的な花として万葉集にも梅が多く詠われたが、桜はそれほど好まれてはいなかった。平安時代に入ると、京都には自生の桜が多く、梅から桜へと人々の好みがかわり、貴族の間でも家に桜が植えられるようになった。
弘仁3年(812)五二代嵯峨天皇が神泉苑で最初の観桜会を開き、以後、桜の植樹も都では盛んに行われるようになった。源頼朝や足利将軍なども花見を開いたが、とくに豊臣秀吉が主催した吉野や醍醐寺の大がかりな花見は過去にも類をみない規模で、その華やかさは庶民の間でも長く言い伝えられたほどだった。
江戸時代に入ってからは八代将軍吉宗の桜への功績が大きく、桜の苗木を飛鳥山や隅田川堤、小金井堤に積極的に植えさせ、桜の名所を次々と誕生させた。また桜の木が多かった上野の寛永寺も花見の期間だけ境内を開放し、こぞって花見に出かける習慣が生まれ始めた。この頃の江戸っ子は男も女も着物をあつらえて着飾って出かけたので、1年でいちばん華やかな季節でもあったという。